ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

口から出た言葉

時々、頭の中では「こうしよう。」と思っていたのに、言動が伴わない時がある。

 

 

頭の中では「こうしよう。」「こう伝えよう。」「これは言わないようにしよう。」「やらないようにしよう。」「感情に流されるな。」と思っていても、次に気づいた時には、「あれ?なんで?」。

 

 

 

私のおばあちゃんは、若い。

私のおばあちゃんは、綺麗。

私のおばあちゃんは、ド天然。

年のせいとかでは無い。根っからのド天然だ。何も悪気はないのに、人の気持ちが分からなかったり、空気が読めなかったり、大体の人は難なく出来ることが出来なかったり。そして体が弱いからすぐ病院通いになる。根っこの部分はとても優しくて素敵な人なのに、みんなそれが分かっていてもイラッとしてしまうことが多い。

 

 

私もおばあちゃんが大好きだし、小さい時からおばあちゃんに面倒を見てもらっていたので、おばあちゃんの優しさや愛も沢山感じる。同時に、イラッとすることも多い。

 

 

今朝、母との面会の為病院へ向かう途中。今日は祖母も連れていた。久々に会ったと言っても5日ぶり位だが、祖母は話したいことが山ほどあったようだった。

 

 

祖母は、「普通は」という言葉をよく使う。祖母は、と言うよりは、うちの家族は、かもしれない。母親も「普通さぁ、」とよく言っている気がするし、弟に関しては、小さい頃から彼の中で「普通であること」がとても大切なことであるように感じる。よく、「普通はどれ?」とか「普通そうじゃない」とかそんな事を言われた気がする。

 

 

うちの家族は、体も心も弱いように感じる。ストレスが体に出る。頭が痛くなる。お腹が痛くなる。便秘になる。熱が出る。ハゲができる。泣く。怒る。吐く。

 

うちの家族は、自分の気持ちを他人に話すことが無いように感じる。高校生の弟が、今どうなのかは分からないが、母と祖母に関しては本当にそう感じる。彼女達のようになりたくない、と感じていた私も、「〇〇は本当、秘密主義だよね。てか自分のこと話さないよね。」と言われた時に、全部分からなくなってしまった。

 

 

だから、「友達」が沢山いる祖母も、自分の感情をベラベラ喋ることが出来るのは、孫である私や、自分の娘である私の母の前だけなのでは無いか、と思う。そしたら私に出来ることは、頷いて聞いてあげることだと思う。

だが、今日私は、祖母に言い返してしまった。いつも、「普通は、普通は…」と言う祖母だが、今日もその「普通」という言葉を連呼していた。「近所の〇〇さんが、こうやって言ってきた。普通はそんな事言わないでこうやって言うべきなのに。あの人は普通じゃない。」というような事を言っていた。よく私も言われた。普通じゃない。普通はそうじゃないよ。私に向けられた祖母のその言葉が、私はいつも、とても悲しかった。

 

 

 

「おばあちゃんが言う普通って、おばあちゃんの中での普通でしょ?おばあちゃんの普通が、みんなの普通だと思わない方がいいよ。てか、普通って何?」

 

 

 

ハッとした。間違えたと思った。なんで私は言ってしまったのか。あー、最悪だ。気分は最悪。本当に言ったあとに我に返った。本当に、ハッとした。ああ。口を縫っておくべきだった。あたしはこんなこと言える人間じゃない。やになる。

 

 

私は、私がこうやって思っていること、が嫌なんじゃなくて、私自身も自分の考えを他人に押し付けようとしている感じがすること、が嫌だ。こうやって思っていることは事実なんだけど、おばあちゃんはこんな答えを求めていたんじゃなくて、むしろそんな事分かりきっていたかもしれなくて、ただ話を聞いて欲しかっただけなのに、こんな事を言ってしまったことが嫌になる。分かっていたのに口から言葉が出てしまった。気づいた時には遅かった。

 

 

そうやって考えていたら、ふと思った。もしかして、私もおばあちゃんにしか自分の気持ちを口にすることが出来ないんじゃないか、って。

 

(2017/06/20 23:37:59)

ブログを始めて3ヶ月。100記事。

 

今、ふとブログを開いてみて気づいたのだが、ブログの記事が100を超えていた。

 

そして思ったが、ブログを始めて3ヶ月が経っていた。

 

 

 

ブログを始めたのは紛れもなく気まぐれで、「ニート 引きこもり」で検索したところ、ネコ師匠がブログを書け!と言っていたので「やってみっか〜」くらいの気持ちで始めた。

 

始めた頃は、「ブログ」というものが全くわからず、何を書けばいいのかもどんな風に書けばいいのかもどれ位書けばいいのかも分からなかったが、今も分からない。うん。今も分からない。

 

ただ、始めてすぐの頃、いろんな人のブログを目にして、「誰かの為に書かなければいけない」というように感じた。ブログって、人の為になるような事を書かなければいけないのか、というような感覚になった。が、気づいたら今は雑記味が増してきてとても雑記雑記している。最初の頃は「PVって何やねん。」だったのが、「1日100PV行かないのとかやばいんか?!え?!やば?!い?!」となり、今はまっったく気にすることが無くなった。スターやブックマークを貰えるととても嬉しいのだが、それらを楽しみにしてしまう自分がキモイしウザいし心底疲れるので、思い立ったら書くだけ書いて、それ以外ブログを開くことが少なくなった。1、2日置きに色んな方のコメントやブログを見て、ふむふむ、と思ってまた携帯を閉じる。程よい。

 

この物足りなさが程よい。みんな、今時の若い子、私の友達?は携帯いじりすぎだ。てか、凄い。よく嫌にならないなと思う。良くだな〜。よくその生活を続けられるな〜。携帯捨てたくならないのかな〜。

私もずっとそうだった。画面越しの繋がり=人との繋がり、のように感じていたのかもしれない。ひとりでいる時間は苦痛だった。その「苦痛」を消す為に誰かと居る、ことが「苦痛」になり、いっそのことそもそも誰とも関わらなければいいんだ!と思った。何事も極端なところが心底嫌になる。

 

が、なんと!今は程々が出来ている。と感じている。今の私は程々だ。程々に頑張って程々に他人と付き合い、程々に生きている。なんと素晴らしいことか!この程々が、他人から見たらどう見えているのかは分からないが、私は今この状態がとても楽だ。今この状態を、「良い」と思えている自分に心底安心する。はーあ。疲れた。半分くらい、「今の状態だと気づいた時には死んでるんだろうな」みたいな気持ちになるが、半分は「まぁ今はこれでいっか」と思えていることが本当に素敵だ。素敵人生。はーあ。疲れた。

 

 

マジで、「まぁ今はまだこれでいっか。」って感じ。昨日も今日も明日も疲れた!早く寝よう!寝れるってサイコー

 

 

ブログを始めて3ヶ月経ったことも、ましてや100記事書いたことに関しては全く触れてないと気づいたが、ブログの読者が200人を超えていたので、「読者登録してくださってる方の中で、ブログを続けている方、見続けてくれている方はどれ位なんだろう。」なんて事が少し頭の中によぎりながらも、8割5分くらい「読者登録ありがてえ」で占めている事が、幸せだなぁ。ありがてえ。

(2017/06/19 22:15:31)

今生きていたという実感

 

世界で1人、その人の代わりは絶対に居ないって思える人が居る

 

 

大切な友達。クッソ久々に電話で話をした。

 

彼女は、大切な友達だ。

 

 

 

久々に、「いやぁ、今 生きてんなぁ」と思った。「今 話 してんなぁ」と思った。

 

弟の進路の話からどんどん脱線して、気づいたら「日本の少子高齢化」の話になっていた。その子が大学で教わった「犯罪者の心理」。子供を育てる親の責任とは。子供は自分の分身などと学校で言われても。自分のような人間がもう1人。もう1人。自分自身、自分のこともろくにわからないのに。自分自身、迷い悩みどうしたらいいのかも分からないのに。「自分の分身」が悩み困った時に何が出来るのだろうか。私は結婚願望も子供が欲しいという願望も全く無い。それはまだ若いから仕方が無い、と言われるのかもしれないが。この気持ちが変わることはあるのだろうか。

そういう考えの人で溢れているから、日本は少子高齢化なんだ。子供が生まれない。

なんて話をしていた。

 

 

 

 

「あたしは5年後、10年後、『あの時あんなことしてたよなぁ!』って笑えるように今を送りたいと思ってるよ」

「あたしは現状維持したい。10年後も今と変わらないあたしで居たい。お母さんにもよく言われてたけどさ、あたし生き急いでたんだと思うよ。やっぱり。結婚しなきゃ、子供産まなきゃ、お金稼がなきゃ、楽しいことしなきゃ。って。」

「うん。『しなきゃ!』って思ってる時は、盲目になってるからね。」

「はい、素敵な言葉頂きました〜。」

 

色々脱線した後、最後にはまた、「落ち着いたら連絡するわ」なんて言って電話を切って。

 

 

 

 

気分が良い。話したいことなんて大してないのかもしれない。自分の気持ちなんて、他人に伝えたところでどうなることも無いような事ばかりなのかもしれない。それでもただダラダラと、今日こんなことが合った、なんて事は久々に会話する私もあいつもお互いどうでも良くて、ただ話をすることが大切だったような気がする。ダラダラ脱線しながら、あっちに行ってこっちに行って、答えなんか出るはずもない話をダラダラダラダラ。その事が酷く心地よかった。

 

 

 

今思ったが、私がブログに書き綴っているような、特に意味も無い、支離滅裂な穴だらけの言葉を交わすことが出来る、唯一の友達なのかもしれない。

(2017/06/17 00:45:54)

「今日から何もしてはいけません」

やらなきゃいけない事なんて本当は無いよな。

 

 

風呂に入らなきゃ臭いかな汚いかな嫌われるかなと思うから入るし、別に入らなくてもいいし。口の中が気持ち悪いから歯を磨くし。別に磨かなくてもいいし。何か食べなきゃ死ぬから食べるし、食べなくてもいいし。食べるのが好きだから食べるし、食べなくてもいいし。服なんか着なくてもいいし。髪なんかとかさなくてもいいし。掃除なんてしなくてもいいし。多少なりともお金がなきゃ生きていけないから働くし、働かなくてもいいし。仕事が好きだから働くし、働かなくてもいいし。

 

別にやらなきゃいけない事なんて本当は無いよな。自分の意思で全部やってるわけで。面倒くさいけど、風呂に入るわけで。歯を磨くわけで。

 

弟のためにお弁当を作る私。を私が必要としているわけで。

 

 

 

 

今日から何もしてはいけません。って言われたら、私は最初に何をしたくなるんだろうか。なんて考えながら歯を磨きました。

(2017/06/16 15:57:00)

大人の体感時間

最近ビックリすることが少なくなった。

 

 

最近ビックリしたことと言えば、地元の子からメッセージが来て、普通に返信したら、「意味わからん」的なことを言われて、「なんで言葉が伝わらんのだ?」と思いググったらそれが方言であったこと。

地元の子なのにそれが伝わらなかったこと。

 

それから、昨日の夜足を何気に見たら、靴擦れが出来ていて血の塊が出来ていたこと。

 

一番びっくりしたのは、家のトイレの便座が冷たかったこと。

 

 

 

基本トイレは家でしか入らないし、今の家のトイレは基本冷たいということがない。最近のトイレは気が利いていて、便座が冷たくてビックリすることを回避してくれる。

 

日常的にビックリすることなんて、トイレの便座がヒヤッとした時と、トイレから出てきたら弟が目の前に立っていた時と、部屋に入ろうと扉を開けた瞬間弟が立っていた時くらいだろうか。

 

 

最近ビックリすることが減ったな。

新たな発見をし、ビックリすることが減った。

 

 

子供の体感時間と大人の体感時間は違うと言うが、20歳までの体感時間と20歳から死ぬまでの体感時間は同じ、みたいな事を聞いたことがある気がする。

私はそれを聞いて心底怖くなった。これ以上時間が早く進むのは、苦痛だなー。

 

何故子供の体感時間が長く感じるかって、新しい情報を手に入れ毎日が新しいからだという気がするしそういう事なんだろうなと思っていた。

だから、20歳過ぎても新しい情報を手に入れ続け、新しい毎日を過ごしていれば体感時間は変わらないんじゃないかなと思った。

 

けど新しい毎日なんてそうそう送れない気がする。難しいことだ。

 

何のやる気も起きない。どんどん新しいことをしたいとは漠然と思うが、意欲的になれない。やりたい、と言うより、なんかやらなきゃなーと思っているのかもしれない。本音は何もしたくない。出来ればずっと寝ていたい。「今日もやらなきゃいけないこと」で手一杯で、新しいことをやろうという気にならない。もっと単純で小さな新しいことをやっていこう。小さな発見を大切にしたいと思う。

 

このままだと、これからの人生トイレの便座の冷たさにしかビックリできなくなりそうだ。それは嫌だ。

 

(2017/06/13 06:36:36)

予約(2017/06/14 11:41:01)

お袋の味

 

ご飯を作ってくれる誰か、と小さい頃から過ごしその飯を食って成長すればそれはお袋の味、なんだと思う。懐かしい味。あの頃の味。

 

 

肉じゃが。

 

お味噌汁。

 

家で食べるチャーハン。

 

家で食べるオムライス。

 

ポテトサラダ。

 

 

 

私の親は再婚で、父親は血が繋がっていないのだが、母が倒れ私がご飯を作るようになった頃、父親が私に、「あのチャーハンはチャーハンじゃないよな。あいつは料理は基本美味いけど、チャーハンは不味い」と言った。

 

チャーハン。

 

お店で食べるチャーハン。

 

お母さんが作るチャーハン。

 

別物として考えていた。

お母さんが作るチャーハンは「これ」で、お店で出てくるチャーハンは「これ」。みたいな。

 

私はずっとラーメン屋さんでチャーハンを振っていた。中華鍋でチャーハンを作っていた。

 

だが、家でチャーハンを作ろうと思っても、母親のあのチャーハンしか作れない。

不味いと思ったことは無い。美味しい。

 

確かに考えてみればあれはチャーハンというより「焼き飯」。でも美味い。

 

 

私はこれから、チャーハンを作ったつもりで誰かに提供しても、「チャーハンじゃなくて焼き飯だよ」と言わなくてはいけないような気になった。私が「美味しいチャーハン」だと思っていても、初めて食べる人には美味しい「チャーハン」では無い、のかもしれない。と思った。

 

 

 

お母さんのオムライスはパサパサだ。卵がパッサパサ。でもあのオムライスがめちゃくそ好き。パッサパサのオムライスが、どのオムライスより一番美味い。お母さんにも、「お母さんのパッサパサのオムライスがマジで美味い」と言っていた。

失礼な話だ。

でも、好きなもんは好きだから。私もパッサパサのオムライスを作るよ。

でも、お母さんの作るオムライスそっくりに作ったオムライスは、「美味しい」って言ってもらえたよ。美味しいよ。

 

味覚。味覚。美味しいの感覚。

その人の「舌」と、その人の「育った家の味」。

私はそんなにバカ舌では無いよ。「お母さん」の料理は「それだけ」で美味しい。

 

 

(2017/06/13 21:06:18)

早い者勝ち

先にやった人が勝ちみたいな風潮。勝ちみたいな価値みたいな可知みたいな。ん?

 

 

 

 

小学校のクラスで一番にシャーペンを持ってきた子。

 

小学校の頃からアイプチをしてた子。

 

クラスで一番に腰パンを始めた子。

 

仲間内で一番最初に海外に行ったことがある子。

 

みんなより早く働き始めた子。

 

みんなより早く子供が出来た子。

 

みんなより早くお金を手に入れる術を身につけた子。

 

 

嬉しい話も早い者勝ち。

 

びっくりする話も早い者勝ち。

 

面白い話も早い者勝ち。

 

悲しい話も早い者勝ち。

 

 

 

 

私は私の軸で生きたいね。

(2017/06/12 16:58:26)