ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

二度寝夢日記

春祭り

 

桜祭り?

 

公園

 

「丁度餓鬼を迎えに来たんです」

 

「手を繋いで円になって向かうのが小学生の習わし」

 

LINE

 

 

眠る小さな私

 

黒い服を着た人間の体をした動物?顔だけは動物。手も獣だ。

 

狼?

 

犬?

 

灰色の動物

 

眠る私と同じように左斜め上を見て目を瞑り私を抱く母の横に2人

 

もうひとつの写真黒い服を着た親族に囲まれ私を抱く母の顔にだけ光が当たっている

 

おばあちゃんの口元だけが見える

 

目元は影になっていて見えないがとても綺麗に笑っている

 

そんな写真を何かの言葉を添えて自分のLINEのタイムラインか何かに

 

私はLINEをしていないからきっと母の携帯の通知が目に入ったのだろう

 

タイムラインにコメントかスタンプが着た通知

 

私の実の父親からの通知

 

少し嫌な気持ちになる

 

「お線香の香りがする、ねえ、〇〇(私)、お線香の香りがする。私だけ?たみさん(曾祖母)が心配して来たのかな。」

 

母の声

 

(犬)じゃない?(犬)に匂いが付いてるんじゃない?

 

「そうかなぁ。やっぱりそうか〜」

 

 

 

 

眩しい光と手を繋いで輪になる大人達

 

誰だっけ?

 

「びっくりしたぁ!今丁度餓鬼を迎えに来た所だから」笑う女性。

 

この人は絶対に知らない人。

 

可愛い人だなぁ。

 

 

今何時?「3時半?3時半だよね?」

 

 

 

 

 

 

 

あー!4時だ〜。

そろそろ弟を送らなくちゃいけないから起きなくちゃ。

今日の夕飯どうする?

「どうするか〜」

おとうは?

「食べるって」

お前は?

「まだ分かんない」

いつ分かるの?

「分かんない」

さっきお線香の香りがするって言った?

「言ったよ〜。お母さんの所だけお線香の香りがするんだよぉ。」

 

 

 

あー、お腹が気持ち悪い。ムカムカ?モヤモヤ?お腹がゴロゴロ?気持ちが悪い。

夢を書き留めておきたいんだけど、それだけの為のブログを作ろうか本当にチラシの裏にでも書き留めておこうか迷ってる。

(2017/05/12 16:17:59)

🐝

時代は回るし世界も回るし私も回るし目が回る

子供が大人の真似をして

大人より少し早く大人の普通が子供の日常になって

その子供が大人になったら

その大人の真似を次の子供たちがして

また少し早く子供の日常になって

また少し。また少し。私はちょっとずつ世界が早く進んでいるような感覚に陥っていく

 

 

 

 

うちのパパンはさ、他の家より割と若いと思うんだ。

今日弟の彼女が誕生日らしくて、昨日の夜せっせこお手紙を書いてた。色々考えた挙句に、シンプルイズベストに行き着いたらしくて、その手紙がリビングの机の上に置いてあった。

 

今日、弟は部活が理由で学校公欠。いつもより少し早起き。私はいつもと同じ。ママンを朝からお迎えに行く日だから、パパンも少し早起き。

 

弟は低血圧で寝起きがクソ悪いし、いつも機嫌もクソ悪いのに、今日は鼻歌交じりでお支度してる。

 

パパンが手紙を見て私に言った。

「高校生の癖にクセェ事してんなぁ」

 

 

 

 

 

「小学生のくせに」「中学生のくせに」「高校生のくせに」「今時の子は」「若い子は」「ゆとり世代は」「俺が若い頃は」「昔は」「あの頃は」

 

 

時代は進む。どんどん進む。世界も進む。どんどん加速する。

グルグルまわっているのはわたしだけだろうか

(こだまでしょうか)

いいえ、だれでも

……。

 

 

(2017/05/12 06:14:44)

🐝

夢日記

 

うわー、足の親指の爪が真っ黒に変色している。

汚れているとかそういう類では無くて、もう爪自体が真っ黒に変色しているのだ。左足の親指の爪。こないだより酷くなっている。このままでは、この爪はどうなってしまうのだろうか?という疑問が頭の隅をよぎった様な気もするが、私は見て見ぬふりを決め込む事にした。

 

 

 

見て見ぬふりを決め込んだ事で、強制的にその情報は頭の中から消去された。実際には消去されていないのかもしれないから、この表現は間違っているのかもしれない。情報の上から布のようなものでも被せたのだろうか。穴でも掘って埋めてしまったのだろうか。表現方法はハッキリ言ってどうでもいい。ただ見て見ぬふりを決め込んだという事実だけが伝われば良いのに、こんな所でウダウダ考えて立ち止まる私が私はあまり好きじゃない。

 

 

 

見て見ぬふりを決め込んだとて、実際は見てしまったのだから、ふと頭にその事がよぎる。だが、頭の中で穴の中に埋めて忘れようとした情報よりも、埋めて忘れようとしたという事実が私を支配する。

 

あーあ。また見て見ぬふりをしてしまったな。また私に嘘を付いてしまったな。知らんぷりしてしまったな。私は何も変わらないな。昔も今も、ずっと同じ事を繰り返しているな。

 

 

 

そんな所でふと我に返る。どこまでが夢でどこからが現実かが定かではない感覚に陥る。

 

 

ただ、今左足が視界に入った時に、爪が黒くない事を思い出し、爪が黒く変色してしまった事は夢であったと理解した。

 

 

 

 

 

 

 

最近、夢をよく見るなぁ。

嬉しい夢でも悲しい夢でも意味の分からない夢でも、夢を見たという事実が眠りから覚めた後の私には嬉しい事だ。

でも大体の夢ってどうしてすぐ忘れてしまうのだろうか。

 

 

(2017/05/11 12:33:54)

🐝

ごちゃごちゃうるせえから取り敢えず「これでいいのだ」って言っとけ

 

 

ごちゃごちゃくだらんことグダグダ書いてても結局のところよく分からんから取り敢えず「これでいいのだ」って言っとけ。

 

あーだこーだ持論垂れても、あーだこーだ悩んで悩んでも、結局自分は自分だし他人は他人だし、進んだ気もするし後退した気もするし、後退もむしろ進んだ1歩なのかもしれないし、全然意味わからんし、取り敢えず「これでいいのだ」って言っとけ。

 

 

 

て言うか今気づいたんだけど、スマホから書いても斜体太字サイズ変更も出来るんだね。今知ったよたった今。2017/05/06 21:25:37に知ったよ。うんうん。これでいいのだ。

 

 

 

 

なんかあたしがいくらごちゃごちゃ書いても、どんだけ悩んでも、何綴っても自分に伝わった気もしないし分かった気もしないのにたった七文字「こ れ で い い の だ」これだけで、なんか全部伝わった気がする。なんかそしたら、ブログに綴る意味無くなるよな。だって毎回結論七文字で終わっちゃうもん。うん。これでいいのだ。

 

 

別に文字をダラダラ綴りたい時は綴ればいいのだ。絵を描きたきゃ、うまかろーが下手だろーが描けばいいのだ。寝たきゃ寝りゃーいいのだ。やる事やらねば、と思いたきゃ、やらねば、と追い込まれりゃいいのだ。ぶっ壊れたきゃぶっ壊れりゃいいのだ。あれ?これでいいのか?

 

これでいいのだ。

 

 

 

 

時にはさ、何も考えずに、これでいいのだ〜〜ってなっていいよね。大体、やらなきゃいけない事なんて本当はそんなに無いんだからさ。これでいいのだ。

 

 

 

これでいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(ごがつむいか、みめい)

🐝

リアルにブログの下書き保存が69個もされている。1000字とか2000字以上書いてあるものもあるが、ひと言だけ書いてあるものや意味のわからん事が500字くらい書いてあるものやら下書き保存にあるものこそ支離滅裂で意味がわからないのである。どうせ私は人の目を気にして、周りにどう思われるかばかりが気になるどうしようもない奴なのである。

 

 

Twitterもブログの様に下書き保存が死ぬほどある。Twitterのがあるわな。

 

 

これはとても私という人物のクソ人生が反映されているというか、これこそが私のクソ人生であるという感じがする。待ってくれ。意味がわからない。

 

 

 

待ってくれ。何が書きたくて書き始めたのか全くわからない。

つまり、コタツは人をダメにするんだわマジなんだよコレ。

 

(2017/05/10 10:11:51)

🐝

今時の小学生は大変そうだなぁと従姉妹を見てると思う

 (この記事の内容は今時とか関係ない気がするが)

 

 

 

私の従姉妹に今年小学6年生になった子が居る。県外に居るのだが、長期休みや少しの休みでもすぐにこちらへ来るので、年内に何回かは必ず顔を合わせる事になる。何時間もかかるのに、良くだな〜と思う。方言が出そうで身バレが恥ずかしいから、なんと表現していいのか分からなくなってきた。方言って、その言葉でしか表現できないから、なんか面白い。私はよく「おばあちゃん語だよそれ」と言われるような言葉が出てしまうことがあるが、そういう言葉が好きだ。全然関係ない話になってきた。いつもの如く、話が逸れてきた。

 

 

 

 

その従姉妹が、去年、一昨年だろうか。七夕の頃にこちらへ来ていたのだが、七夕祭りなるもので、短冊に願いを書いた。当時、4年生か5年生だろうか。なんと書いたと思う。

 

 

 

自由になりたい

 

 

 

私の母が、従姉妹を連れて七夕祭りに行っていたそうなのだが、その話を聞いて笑ってしまった。自由?!小学生の言う自由とはなんぞや?!と思ったのだ。

 

 

 

 

「ねえ、〇〇は七夕の短冊になんて書いたの?」

 

「自由になりたいって書いた」

 

「〇〇は今、自由じゃないの??」

 

「うん」

 

「〇〇にとっての自由って何?」

 

「遊びたい」

 

 

 

 

 

 

私はねー、従姉妹絶対グレると思うのよ。その子姉妹なんだけどね、妹が居るんだけどね、グレると思うのよ。昔からこいつらはグレるだろ、って思ってるのよ。

その子達の母親(つまり私の母の姉)がね、昔ちょっとヤンチャだったみたいだ。ちなみに私は母に「(従姉妹の母)にお前は色々似ている」と言われてきた。が、私自身が姉であるのでそういう部分で母からみた「姉」と姉である「私」を似てると思う部分は予想がつく。文章を綴るのは難しいな。

 

従姉妹の母は、今「勉強の鬼」という感じだ。自分があまりそういう事をしてこなかったからだろうか?子供たちには色々身につけて欲しいと思っているのかもしれない。もっと勉強しておけば良かったなと思う所を子供たちに託している、みたいな所もあるのかもしれない。が、子供たちには知ったこっちゃないだろう。

 

週5で習い事があるらしく、その事が従姉妹から「自由」を奪ってるらしい。もっと皆と遊びたい、という気持ちを抑えて行きたくもない塾やらなんやら行かされる事が、彼女から「自由」を奪ってるらしい。

その子は元々勉強が得意に見えなかった。と言うか、私は学校で授業を受ければ大体の事は理解出来たし、勉強がどちらかと言えば好きだったので、そういう風に見えるだけなのかもしれないが。だが、行きたくもない塾に行かされたり、好きでもない勉強を強要される環境にいるので、会う度に勉強嫌い度と出来ない度が増してる気がする。

 

 

 

 

 

 

もうこないだ会った時なんか、その子の服にポケットが付いていて、私の母(この時既に母は病気で少々幼稚な状態になっている)が「そのポッケには何が入ってるの〜?夢と希望が詰まってるの〜?」と聞いたら、従姉妹なんて答えたと思う?!???!?!

 

 

絶望。

 

 

Oh nooo!!!待て!待ってくれ!小学6年生で、人生に、世界に、絶望してしまっているのらこれから待つ世界に希望を見い出すことは出来るのか?!!?!?!

 

 

 

 

 

だが、あちらの家庭にはあちらのやりかたがあって、私がとやかく言える存在でも立場でも無いのだ。

だからせめて、私はお前らの味方だぞ。良いぞ。うまい具合にやっちまえ。私といる時位は、好きなこと好きなだけやらせてやる。という気持ちでは居るのだが、時間は合わねえしなんやかんやで、なかなか難しいでござる。

 

 

 

まぁ、これこそ私がどんだけ考えた所でどうにもならないので、私はお前達の愚痴をたくさん聞いてあげようではないか。今は笑って一緒になって、「辞めちまえ辞めちまえー!」って言ってやろう!(ダメな大人)

 

 

 

 

 

 

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(ここで、その従姉妹が小3だかの時に学校で作った短歌(ちなみに下2つがリアルに力作らしい)をご覧下さい)

 

 

終わります。

(2017/05/07 08:19:58)

 

🐝

「ごめんね」より「ありがとう」を伝えたい

 

ごめんねとありがとうが言えない人間だった。特に家族や親しい人になればなるほど言えなかった。

 

いつからだろう。ごめんねとありがとうを素直に伝えることが出来るようになった。本当に、素直に、心から、言えるようになった。

 

 

ごめんねとありがとうをなぜ言えなかったのだろうか。私はごめんねとありがとうを伝えることが恥ずかしかった。

なぜ恥ずかしいことだと思っていたのだろうか。何故だろう。また今度考えてみよう。

 

 

 

 

「ごめんね」より「ありがとう」を伝えたい。

 

助けてもらった時、ごめんねよりありがとうを伝えたい。

わざわざ会いに来てくれた時、ごめんねよりありがとうを伝えたい。

何かを貰った時、ごめんねよりありがとうを伝えたい。

悩みを聞いてもらった時、ごめんねよりありがとうを伝えたい。

ただ一緒に居てくれただけで心が救われたような落ち着いた気持ちになれた時、ありがとうを伝えたい。ありがとうを伝えたい。

 

 

 

悪いことをした時の「ごめんね」とは違って、ありがとうの意味を含めた「ごめんね」ってあると思う。

でもそれなら「ありがとう」って伝えたい。ごめんね、じゃなくてありがとうって伝えたい。

 

 

 

たくさん伝えたい。ただただ私が伝えたいだけだから、それでいい。ありがとうをたくさん伝えたい。

 

 

 

 

今の私は、とっても心が落ち着いているのだろう。気分が良い。体も心も調子がいい。今は、不安な気持ちや恐怖、罪悪感自己嫌悪、そんなものが私の中を渦巻いていた自分が別人に感じる。もう別人である。と、自分の中で割り切ってしまおうかと最近思ってる。あ、話がそれてきた。

ありがとうをたくさん伝えたい気持ちで溢れている私が私は好きだな。ごめんなさいごめんなさいと言い続けている私より好きだな。違うのかな?気持ちが落ち着いていて、調子が上がっている時だからこそ、自分を受け入れてあげることが出来ていて、自分を好きになってあげることが出来ていて、ありがとうをたくさん伝えたくなっているのかな。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね」より「ありがとう」を伝えたい。

ありがとうの意味が含まれたごめんねなら、私だったら「ありがとう」と言われた方が嬉しくなる。

 

 

私は私が伝えたいからありがとうって伝える。他人がどう考えてるかとかどう捉えるかとかじゃなくて、私がありがとうって伝えたいから伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

調子がいい時は、調子がよかった時の自分の行動を思い出す。調子が悪い時の自分のことは、よく分からない。書いてある文章もよく意味がわからない。本当に。

調子が悪い時は、調子がいい時に言っていたことが、意味がわからない。全部否定的になってしまう。というか、調子が悪い時は、調子がよかった時の自分のことなんて思い出せなくなってしまう。本当に。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、そんなこと今はどうでもいい。

私は「ありがとう」を大切にしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気分がいい。元気とやる気がちゃんとある。少し怖い。でも本当に気分が良くて落ち着いている。

今日はとても良く眠れそうだ。

5/3

🐝

 

この記事昨日の私が書いたのか?絶対違う。一昨日だ。5/2だな多分。

 

 

 

…はて?

(2017/05/07 20:08:09)