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ハチノスブログ

私による私の為のバカスコ穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

 

 

私はいつも世界の中心じゃない。

誰かの周りで生きている。

誰かが世界の中心で生きていて、その中の1人として私がいる。

 

私が世界の中心で生きたい。

私の中で、私が中心でいれたらどれだけ素敵だろうか。

 

誰かが世界の中心にいると、最初はとても気持ちが楽だ。

その人が言うことが正しくて、その人の行動が正しい。

それが正しいのだから私はその真似をすればいいし、それに近い行動をとればいい。

その人に嫌われないように生きればいいし、その人に嫌われなければ私は世界から嫌われてはいない。

 

でも、だんだんそれが「その人がいないと私は生きていけない」になる。

 

いわゆる依存か。これが依存か。

 

 

いつも私は何かに依存して生きてきた。

人にしろ、物にしろ。簡単に言えば、ひとつのものにハマったら、それしか食べたくなくなる。毎日毎日毎日毎日毎日毎日、それが食べたい。

食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい。それに支配される。

例えばそれが、納豆だったなら、それを吐き気が催すまで食べたくなる。まだ食べれる。まだ食べていたい。嫌いになるまで食べたい。

それがポテチだったのなら、毎日毎日毎日毎日毎日毎日油でお腹が気持ち悪くなるまで食べる。もっと。もっともっともっともっと食べたい食べたい食べたい食べたい。

 

私は過食嘔吐。きっかけはダイエットをこじらせた事だった。「食べたい」だったのかそれが本当は「吐きたい」なのか分からなくなってくる。ただ今は「食べたい」のではなく「吐きたい」から食べているとわかる。吐くことより食べることに自己嫌悪を覚える。と言うよりもお母さんが怒るからいけないことなのだろうと思う。

私が食べてすぐ吐いたものの金額とか、私が家のものをすべて食べてしまうことで「俺が食べようとしてたのに」と責められる恐怖とか、トイレ掃除するの私なんだけど、と本当は思われているのだろうという罪悪感。

きっと全部バレているのだろう。バレないように吐いていたって、バレないように食べていたって、きっと全部バレてる。

ふと、嫌味を言われるもの。「吐くなら食うなよ」小さな声で言われるのは辛い。大きな声で言われたって辛いが。

そんなこと自分が一番わかってる。

吐かなきゃいいだけだと言われるのも分かるし、だけど吐きたいんだもの。苦しくなるまで食べたいんだもの。気づいたらもう全部食べ終わってるんだもの。お腹が減るのだもの。

 

誰かと繋がっていたら、その誰かが中心になってしまうのが怖くて、LINEもTwitterFacebookも電話もメッセージもアプリを消したり、届かないように設定したりした。通知も来ないようにした。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。みんなが嫌いな訳じゃ無くてさ、嫌なんだよ、連絡を待つのが。来るんじゃないかと思うのも嫌なんだよ。

変わろうかと思ってブログなんか始めてみてさ昔使ってたリア友と1人も繋がってないTwitterのアカウントまた開いて始めてみてさ、やだなやだな何も変わってないな。変わりたくないな変わりたいな分からないな誰かの為に生きたいな。あなたのために私は頑張って生きてるのよって、人に責任転換できたらどんだけ楽だろうか。すぐに辛くなるだろうか。それでも自分の為に生きて全部自分の為に繋がるなんて怖すぎるではないか。辛いではないか。

 

お母さんが羨ましい。あなたたちの為に生きてるのよと言えることが羨ましい。前までは、中学生の頃までは、早く子供をつくってその子の為に生きたい、早く子供が欲しい、はやくこの家から解放してくれ、なんて人のせいにして人にすがって生きようと毎晩思ってた。それが、いまは自分が大人になってきて、子供に責任転換することの怖さをしった。きっと私は自分に子供が出来てその子に「あなたのために私は頑張ってるのよ」なんて言えない。その子を見る度に「あの時の自分」を思い出すんだ。そんなの辛い。辛い。もっと辛くなる。そんなこと、想像してるだけだが、想像してるだけで頭の中の自分が辛くなる。辛い自分に辛くなる。

 

ああ、結局私は私が中心に生きてるではないか。つらい。つらい。

どうしたってつらい。

自分が中心に生きてるというより、結局は自分のことしか考えられないんだ。

誰かの為に、なんていって救われようとしてるんだ。私も、あの人もあの人もあいつも。みんなクソだ。そんなあたしが1番クソか。

 

あなたは、28歳で子供が二人いる女と再婚して、子供にも嫁にも嫌われていて、家に帰ってくるだけで「なぜ帰ってるの?」と、ハッキリ言われるわけでもなく、態度に出され、帰ってこなくなり、毎日毎日飲み歩いて、毎日毎日仕事に行って、毎日毎日毎日毎日毎日毎日友達と飲み歩いて、何の話をしてるのか、家から出れなくなった私の愚痴でもこぼしているのか、「頭のおかしい」嫁の愚痴でも言ってるのか、張合いのないヘタレな息子の愚痴を言ってるのか、それとも私達「家族」の愚痴でもこぼしているのか。

あいつらはおかしい。とでも言ってるのか。

あなたはこれからどうするのですか。どこに帰るのですか。子供の私たちにもお父さんと呼んでもらえず、親も死に、育ての親であるおばあちゃんも死に、姉は疎遠になり、弟は幸せな家庭を築いている。あなたに帰る場所はあるのですか?どうするのですか?つらいです。

私はどこに帰るのですか?つらいです。

 

何が辛いのか。わからない辛い。辛いと言えないことが辛かったのか。どうすればいいのだ。

辛いといえば幸せなくせに辛いなんて言ってる弱い自分に辛くなるし、涙が出れば理由もないのに泣いて逃げようとしてるのではないかと辛くなるし、面白い話をして笑ってみたってなにがこれの何が面白いのかと客観的にみている自分に気づいて辛くなる。

 

胃が痛いのは、1日中吐いてるから。顔が浮腫んで目が開かないのもそのせい。髪が抜けるのも、体がだるいのも、きっと涙が出るのもそのせいだ。

全部何かのせいにして生きたい。全部なにかのせいにして生きてるではないか。

ああ認められたい。

私を必要としてくれ。

無条件に必要としてくれ。

 

 

こんな考え方は間違っている。

 

 

 

 

 

他人の目ばかり気にする私が私は好きだし大嫌いだ。

 

 

 

 

 

死にたいと言ってはいけない

言ったら後でもっと辛いぞ。

それでも、ああ

 

死にたいな