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ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

「誰が」「何を」言ったかで言葉の価値が変わってしまう気がするのだが

「誰が」「何を」言ったかで言葉の価値が変わってしまう世界で

 

 

 

 

現実の世界でも、インターネットの世界でも、少なからず「誰が」言った言葉かで、その言葉の価値は変わってくると思う。

 

 

もし、私と明石家さんまが同じ10人に素敵な言葉を並べたとしても、確実に明石家さんまの言葉の方が重みがあると思う。それは、その10人より明石家さんまが年上だからかもしれないし、芸能界で成功してるからかもしれない。お金があるからかもしれないし、「明石家さんま」だから、かもしれない。何故さんまさんを例に出したかと言われれば、日本人に明石家さんまを知らない人のほうが少ないから、という理由以外特に無い。

 

 

もし、生まれつき細くて太りにくい体質で、ダイエットに困った事がない人が「太ってる人はこうだからいけない。」とか言ったって、「あなたは太ったとこ無いんだから分からないでしょ?」みたいな、発言した「誰か」に対する先入観みたいな、なんて言うんだろう、そういうものは少なからず生まれると思う。

逆に、「こんなに太っていたけどこれをしたら痩せました!」って言われたら、「この人はこんなに痩せれたんだから私も痩せれるかもしれない!」と、多くの人の心に届くかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いてるうちによく分からなくなってきたが、つまりは「誰が」「何を」言ったかで、同じ言葉でも価値が変わってしまう事があると思う、という事が言いたいわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから私は「言葉だけ」で、誰かに認められるような存在になった人を、凄いなぁと思う。まぁ大衆に認められるようになる頃には大多数の人間が「この人の言葉だから」、と思ってしまっているのかもしれないが。分からないが。

「この人が言った言葉だから」ではなくて、「その言葉」に惹かれて好かれた人たちを、凄いなと思う。(自分で読み返してみてこの一文が、なんか違うなってなってるけど直さない)

 

可愛いお顔を出すわけでも無く、素敵な絵を見せるわけでも無く、ただ言葉の使い方の面白さや、表現力や発言する内容でフォロワーを獲得したツイッタラー。何だか見ていて面白いと思える様な文字を綴ったり、また読みたいなと思わせるようなブロガーさん。他にも文字を綴って人々を魅了する方は沢山いると思うが、本当に素敵だな、凄いなぁと思う。

 

綺麗な顔や、素敵な絵を書ける人をダメだって言ってる訳じゃなくて、それは凄い才能だと思うし、羨ましいとも思う。私にも素敵な顔やスタイルや、絵を書ける才能があったらいいなぁって、そんな事は今も昔もずっと思ってますわ。

とりあえずブログを始めてみて、文章で人を魅了する人ってカッコイイな、と気づいたって話です。

 

 

 

 

 

 

 

イッタラーやブロガーさんだって、書き続けているうちに「この人の」言葉だから心に刺さるなぁ、とか、お前がそんな事を言うか?とか、読む人によっては「誰が」の部分を感じ始める人もいるのかもしれない。それでも、どれだけ書いてるかとか、どんな人かとか抜きで、この人の文章はなんだか素敵だな、と思える人に出会える。素敵だ。

 

 

 

 

逆に考えれば、書き続けている人だからこそ伝わる事も沢山あるわけだよなー。書き続けている「誰か」だからこそ心に響く、みたいな。私は、目立った特技もなく、人に自慢できる様なことも特になく、文章を書くことも得意だと思えないネガティブ野郎だ(正確には野郎では無い)が、そんな私にも書き続けている事で誰かに伝わることがあるかもしれない訳だ。

 

 

 

なるほど。

 

 

 

 

リハビリの意味も含めて結局、“書き続けることが大切” に至りました。

 

 

 

4月12日の私

🐝