ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

現実から隔離してくれる手のひらサイズの機械

 

 

私にとって今の携帯は、私を現実の世界から隔離してくれる機械です。

 

 

 

以前にも書いた通り、私は人との繋がりをシャットアウトした。現実から目を背け、誰とも連絡を取らなければ、時間が止まって居るような、何も進むことが無いような錯覚に陥っていたのだろう。

そして、ブログを始め、Twitterのアカウントも新しく作った。今度は、ネット上でしか繋がらない私の世界が出来た。

 

 

うちの家族は、割と引きこもり基質だ。みんな家にいたがるし、友達と出かけることも特にない。その中で私だけが異端だった。毎日外に出て遊んでいたかった。誰かと繋がっていたかった。何故そんなに生き急いでいるの?と母に聞かれた事もあった。私は、ほとんど家に帰らなかった。今とは真逆である。本当に真逆である。どちらも本当の自分なのに、どちらも本当の自分で無い気がする。自分でもそんな気がするのに、他人にそれが分かるはずが無い。外に出ている時に私と知り合った人たちは、それが私だと思うし、ずっと引きこもり誰とも会うことが出来ず外が怖い、という状況で知り合った人たちは、私をそういう人だと思う。

 

 

その全てを受け止めてくれるのが母だった。時が進む恐怖に泣いたことはあるだろうか。歳をとるのが怖いのではなく、時間が進むことが怖いのだ。時間が進んでしまった過去が怖い。言ってる意味が分からない。うん。分からないが、怖くなるのだ。めんどくさかっただけなのかもしれないが、前までは私を狂わせる原因のひとつであっただろう母達も、何も言わなくなり、そして母は私の全てを抱きしめてくれた。

 

 

今の私の携帯は、私を現実から隔離してくれる機械だ。この手のひらサイズの機械をいじっている間だけは、その事だけに集中出来る。それすら出来ない時は、ボーッとする他ない。

 

 

 

 

 

その中で、ブログだけは現実である。

 

昨日、母が倒れたことで自分の心が折れる前に、頑張れると思っている時に、頑張れなくなった自分の為にメモを残した。それが昨日投稿したブログだった。

 

 

母が倒れた事によって、私の頭の中を支配したのは、「私はひとりぼっちになってしまう」という事だった。最低だと思った。母のことよりこれからの私がひとりぼっちになってしまう怖さに支配されていたのだ。一命は取り留めた。その事に安心できたのは、丸1日たった後だった。命が助かった安堵よりも、母がいない日常に恐怖を覚えた。母が居なくても生きていける。確かにそうなのだが、私を知っているのは母だけなのだ。母にしか私が見えていないのだ。違うな。母には受け入れてもらえていると思っていることで心の均衡が保たれていた。別に母に特別何か助けてもらった訳では無い。いや、迷惑を沢山かけたこと(現在進行形か。)は謝る(そして感謝しているマジ)。だが、私には母しかいないのだ。母が世界で、母が正しい。母が許せば全ては許される。

 

ザコンと言うよりも、私は母に依存しているのだ。

 

 

 

話が逸れたが、そんな母が倒れた時、私はずっと頭の中で文字を連ねていた。頭の中でブログを書いていた。誰かの命が危ないというのにこんな表現はおかしいのかもしれないが。正気を保つために頭の中でたくさん色んな文字を連ねた。その文字をそっくりそのまままた書くという事は出来ない。その時考えてた事なんか忘れた。

 

ただ、頭の中でブログを更新することで泣き崩れたり過呼吸になったり発狂する事は無かった。

 

 

 

 

 

 

ブログは頭の中でぐちゃぐちゃになったものを整理するのに丁度いい。

私はスマホでブログを更新している。ただパソコンが無いだけだが。

 

この小さな機械の中で、現実逃避出来る私と、現実を受け入れようとする私が存在している。

 

 

話が逸れまくって自分が何が言いたいのかさっぱりわからないが、多分言いたい事は、矛盾が生じて、ふたりの私が出来上がる。

 

 

 

 

 

気持ちが悪い。

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🐝

 

ごめん23日の自分。今日の私からひとこと言わせてくれ。

 

半分くらい意味わからん。