ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

人生もグラデーションという表現が素敵だった

 

私のブログが感情ぶん殴り自己満記事なので、自分で自分の気持ちを整理する為に書いてるみたいな所が多いから、パッと思った時にぶん殴り書きする。

だから、下書きが溜まる。溜まる時は溜まる。書きたくない時は書かないからそういう時は下書き保存に記事が溜まらない。

 

 

下書き保存しないで投稿する日もあれば、後日投稿する日もあるが、私にとってその辺は差ほど関係ないことなのかもしれない。誰かに向けて何かを発信することは難しいなぁ。誰かに伝えたいと思って書こうとすると、全く意味の分からない文章になる。今、私は私の気持ちを文章にして誰かに伝えたいと思っているのだが、全く意味がわからないし書きたいことが分からなくなってきた。

 

あ、別に何かを伝えたいわけじゃなくて、説明したいんだ。私のブログはこういうものなんですよ〜なんて説明しようとしてるから意味分からなくなるんだ。どうせ需要ねーよお前のブログの説明なんか、なんて言葉が頭の中をよぎるから訳が分からなくなるのだ。やっぱり私のブログを読んでくださる方が私のブログをどう思うかはその人次第であり私が強要したりこうであると定義する必要なんてないんだ。思い出した。

私による私の為のブログでした。

 

 

 

 

 

 

このまま書き進めると、書こうと思っていた記事と全く違う内容になってしまいそうだ。

話が逸れまくり、というより、最初から話が脱線している。脱線という表現自体違う。そもそも違う線路を走っているぞこのままじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は両親が離婚し母子家庭として過ごしていたが、親が再婚し今の生活がある。昔から、私の中で母が全てで母が正しく正解であった。漠然と、母は完璧であると思っていたのだろう。今の父親と母親の仲が悪くなってきたのはいつ頃からだろうか。今現在めちゃくちゃ仲が悪い。笑っちゃうくらいに仲悪い(笑)そのことについては、今までも色々あってまぁもう良いのだが(良くはないが)今回は関係ない話だから良しとするか。

 

 

母が父に惹かれた部分は、多分、であるが、自分と違うものを感じたからだろう。そして、今仲が悪いのは自分と違う部分が理解し合えないからだろう。理解し合う気がない、のかもしれない。その辺は2人の問題だから自分らでどうにかしてもらうしかないが、巻き込むのは辞めてくれよな!2人でやってね!

 

 

 

 

中学頃から、私自身が父親と仲が悪くなり、めちゃくちゃ仲が悪くなり、めっちゃ仲が悪くなった。私の中で母が正解で正しいものだったから、母を否定し正そうとしてるように感じた父のことを「間違っている」と思っていたのかもしれない、と今思った。

 

 

 

 

だが、自分が社会に出るようになり、色んな人の意見や考え方に触れるうちに、母の偏った考え方に疑問を持ち始めた私がいた。これがいわゆる「反抗期」というものだろうか。ただ、今更母に「うるせえクソババア!」なんて口も聞けなかったですし、ずっと母が正しく正解だと思っていたのですから、自分の半分も完全にその思考な訳なのです。急に敬語が混ざってきてしまっているが、気にしないで欲しい。つまり、私の母に対する反抗期は未だに無いのだ。母に聞けばアレは反抗期だった、なんて言われることがあるのかもしれないが、母に対する「お前の考えを押し付けんな!」的な感情をぶつけた事は無い。

 

 

 

 

 

母の偏った考え方に疑問を持つようになり、父の言っていた意味がわかってきた。父の言うことは頭ごなしに「間違っている」「意味がわからない」と思っていたが、確かに…と思うことも増えた。だが、言い方に問題があるんだよお前は。もっとさー、お前もお前の考えがすべて正しいと思わないで、そういう考え方じゃない人になんか伝わるように伝えようとする努力をしろよ〜…とも思う。

 

 

 

 

 

結局のところ、私はもちろん、父も母もまだまだ若く、まだまだ未熟な部分が多いのだ。未熟の反対は成熟?歳をとれば成熟するということでも無いが、まだまだ私も彼らも成長できるということだろう。

 

 

 

 

 

今日こんな記事を読んだ。私が読者登録させていただいているブログのひとつだ。

3years.hatenablog.com

 

大人はやがて親になり、子どもをつくる。その子どもやがて大人になり、親となる。

もちろん大人が全員親になるわけではありません。私が思ったのは、「どこで切り替わるんだろう」という疑問です。

どこかある時点において、あるいはある一線を超えところで大人になる。そういうわけではないでしょう。タバコやお酒、選挙権などは別ですが。

 

 

きっとそれは、“グラデーション”なんですね。

こんな当然のことを改めて思ったのは、私が今まさに、中間地点に立っているからだと思います。

 

 

素敵な表現だと思いました。グラデーション。親になった瞬間から親として完璧な訳もなく、ましてや完璧な人間などになった訳では無いのだ。私は勝手に母を母だから完璧だと思い込んでいたのだ。母を信じきり、母こそが正しく正解だと思っていた。

 

 

 

ただ、私の中で今怖いのは、親になったことやあるいはその年齢になったということで、自分は完璧であると思い、成長出来る可能性を潰してしまうことである。母や父にはその様な部分を感じるし、自分の「この意見」は正しく、間違っていることは無いと思っているように感じる。それは、祖母にも言えることだし、もしかしたら私の中にもそういう部分があるのかもしれない。こわ。

 

これこそ私の勝手な考えや思い込みなのかもしれないが、そういう人って、娘の私に言われても聞く耳を持たない気がしてしまう。

 

 

 

私は、そういう人になりたくない。と、思っている。そういう意味で、今までも「母の様にはなりたくない」と言ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

母は完璧で間違いなどない、訳ではない、のだ、と、わかった上で、ぶっ壊れ引きこもりになった私は母に依存していたのだが、今回の母の病気の件で、母への依存は断ち切られるだろう。断ち切らざるを得ないだろう。断ち切る、という表現自体が違う気がするが。私は母を心の支えとし、私を受け入れてくれる唯一の人間だと思っていたが、今の母は1人で買い物も出来ない。言ってることもよく分からんし、子供みたいだ。私が助けを求めていたあの頃の母はもう居ない。違う意味で母に依存しない様にしないと。このままだと多分、多分だけど母は私に依存し、私がいなければ心が保たれなくなってしまう。見ていて怖い。この考えこそが、母への新しい形の依存である気もしてきていて、ヤバイな、と思ってきた。共依存はいけないことだろうか。などという思考に支配され始める自分が怖いぞ。怖いと思えている自分がまだいる事が救いである。共依存がいい事かいけない事かは一概には言えないが、そういう関係に陥ることを怖いと思う自分がいる。

 

 

 

母よ、リハビリがんば。応援してるぽよ

 

5/5

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