ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

私の生きづらさ、会話をするということ、画面上の会話、本音と建前

 

 

 

その人は、自分の為に他人に何かをしてあげています。誰かに何かをやってあげている自分を見たいが為に、何かをします。それが間違っているとは思いません。誰かに何かをしてあげようとしている人の大体は、そういう理由だとも思っています。誰かに何かをしてあげようと思うことは何も間違っていないと思います。

 

それをしてもらった相手がどう感じるのかを考えない人は、ただの「ありがた迷惑な奴」だとも思います。相手も嬉しい、自分も気持ちいいならそれは正解だったのだと思います。相手にやってあげて、相手が嬉しいと素直に思えないこともあると思います。そういう時、その人は怒るのです。「貴方のためにやってあげたのに」と。

 

 

その人は、友人と遊園地に遊びに行く予定を立てていました。その人とその人の友人の関係は、学生時代の先輩と後輩です。その人は、年下と仲良くするのが好きな人でした。年下が好きというよりも、先輩と後輩という関係が好きなように思えました。自分に敬意を払ってくれる人が好きでした。敬語が使えない後輩を酷く嫌いました。その人は、周りの人との関係が「相手が自分に対して気を使ってくれているから成り立っている」という事に、全く気づいていないような人でした。

 

 

その人と後輩は、前々から遊園地に行く予定を立てていて、前日の夜には遊園地に行くために早めに寝たようでした。その人は、遊園地をひどく楽しみにしていたように見えました。

 

遊園地に行った数日後、用がありその人に電話をし、私は開口一番に「遊園地は楽しかったかい?天気悪かったなぁ!」と言いました。その人は、その言葉を聞いた瞬間ひどく怒りました。「聞いてよ!マジで有り得ない!」

 

 

 

前日、その人と後輩は連絡を取っていました。後輩は「少し具合が悪い」と言っていました。その人は「大丈夫?」と言いました。後輩は「大丈夫です。」と答えました。

当日、その人の運転で遊園地に行きました。遊園地までは片道3時間です。

遊園地に着き、具合の悪かった後輩は少し車の中で休む、と言い「先に言っていいですよ」と言いました。その人は、ひとりで行くのも難なので、一緒に車の中にいました。しばらくすると後輩が、大丈夫です行きましょう、と言い、2人は入場料を払い遊園地に入りました。後輩は顔色が悪く、見るからに具合が悪そうだったそうです。結局、2人は何のアトラクションにも乗らず、遊園地を出ました。

後輩は、妊娠していたようでした。子供は堕ろすと言っていたそうです。

帰りの車も、その人が運転しました。後輩は具合が悪いので寝ていていいですか、といい帰りはずっと寝ていたようでした。

 

 

 

その人は怒っていました。「楽しみにしてたのに!行きたかったのに!」

 

 

 

 

私には、2人の車内が容易に想像できます。2人の気持ちも容易に想像できます。しかし、それは私の想像でしかありません。私だったら悲しいと思うことも、その人にとっては嬉しいことである事が今までも沢山あったので、私には分かり得ないことが多いです。逆なのかも知れません。私は、よく分からない、と今までたくさん言われましたが、私がよく分からないと思うことの大部分の方が、世間一般と呼ばれるものなのかも知れません。

 

 

 

きっと、その人は、具合が悪いと言っている後輩に「大丈夫?」「薬いる?」と親身になって心配してあげていたのだろうと思います。それでも本当は、具合が悪いと言っている時点で、行くか行かないかを悩むべきだったのだと思います。それでもその人の本心は、「遊園地に行きたい」にあったのです。それは、真実

後輩は、心配してくれるその人に対して「大丈夫です。」と言っていたのだろうと思います。その人が遊園地を楽しみにしていることも知っていたし、断ることもいけないことの様に感じていたのでしょう。それでも、具合の悪さは自分が一番わかってるはず。ましてや、妊娠しているのであれば、事前に断れば良かったのだと思います。結局は、行くだけ行って、何もせずに帰ってくるハメになっているのだから。後日、「大丈夫って言ってたのに、結局行き損だった」と言われても仕方が無いです。

 

 

 

 

私はその話を聞いて「バカだなぁ」と笑いました。本当に、「バカだなぁ」と思ったからです。

そして、私の生きづらさは、ここにあるのだろうなぁ、とも思いました。

人の目や、他人の気持ちを勝手に考え、この人はこうだろうな、と自分の中で答えを出してしまったり、この人はこう感じてるだろうな、こんなことを言ったらこう感じるだろうな、きっとこう言ってくるだろうな、と考えてしまう。

逆に言えば、この人はこう思うだろうからこれは言わないどこう、とか、こういう言い方をしよう、とか出来るわけです。本当は好きなのに、嫌いだと言ってしまうことは、クソだと思っているので、嘘をつくことはありませんが、オブラートに包みます。それでも私はこう思うけどな〜、と。それでもその人を知っていれば、伝え方を考えることが出来るのです。

だから、同性も異性も、全て、新しく他人と知り合い、顔見知りになることに疲れてしまったのかもしれません。ネットで知り合った人と、画面上のやり取りが苦手なのもそのせいなのかも知れません。その人を知らないから、どんな風に話せばいいのか分からないのです。

 

ふと気づくと、自分がどんな人間なのか、どんな風に会話をすれば良いのか、分からなくなります。

 

 

 

私は、人の目を気にして、当たり障りなく、他人に嫌われないように、そうやって生きてるのか〜。クソみたいだね!

(2017/08/01 22:52:10)

 

私には一大事でも、他人には大したことないし、他人には一大事でも、私には大したことないし、私が一大事なのでは?と感じても当の本人は1ヶ月もすれば忘れてるし、普通にわからなく無いですか?どれがやばくてどれがやばくないのか分かんねー!