ハチノスブログ

私による私の為の穴だらけのブログ。人生イージーモードだけど雑魚だから攻略困難。厨二病を拗らせました。

「絶対」という言葉が重なる度に募る不信感

考えた所でどうにもならないと言われるようなことを考えるのが好きなようだ

 

 

 

 

親に「絶対」という言葉を使って欲しくないと思うのは私のエゴだろうか。

 

親は2度目の離婚になるわけだが、もう私も金銭的な面で言えばひとりで生きていけるし生きていかなきゃならないとも思う。生きるか死ぬかは置いておいて。

ここから先は親子関係を切る切らないにしろ、実質的には私は私の、弟は弟の、母親は母親の人生になると思う。だから、親が再婚しようと離婚しようと、あまり私には関係がない。

20歳を超えれば戸籍も自分で持てるし、名字だって好きなものを選んでいいと思う。私は私。

 

 

 母の「絶対」という言葉を聞く度に不信感が募ってしまう。信じられない。

それは私にも言えることで、「絶対」なんてことは無いと思う。未来に何が起こるかなんて分からない。

 

 

絶対にもうこれ以上買わないから、絶対に再婚なんてしないから、絶対に大丈夫だから。

 

 

絶対なんて言って自分を追い込まないでくれ。分からない。彼女は自分を追い込んでなんていないのかもしれない。その時その場で口から出てしまっただけの「絶対」なのかもしれない。

 

分かっていたって、世界でただ一人、何よりも正しいと思っていた人間の言った「絶対」が覆った瞬間、私は世界に裏切られた気持ちになった。

 

 

もうそんなことは幾度となくあったかもしれないが、どうしても慣れない。どうしても母の絶対をどこかで信じてしまって、どうしても裏切られたような気持ちになる。だから、母が絶対と言ってしまった瞬間に、不信感がどこからか溢れてくる。

 

 

親を好きでいなくてもいい、親の全てを受け入れなくてもいい、こんな親から生まれたから仕方ない、いろんな風に感じ、いろんな風に思っている人は居るが、どうしたって血の繋がった唯一の母親を切り捨てることが出来ない。

 

ただ、母親のようになりたくないと、昔から思っていることも真実で、そんな「こうはなりたくない」と感じる母の血を継いでいることも真実で、母が責められる姿を見ることは本当に心の底から辛い。

それは「お前もその血を継いでるんだよ」と幾度となく周りから言われたことに、私が母を見て自分と似ていると幾度となく感じることによって、母に自己投影し、母を責める言葉が私自身に降り掛かってきているように感じるからだろう。

 

 

自分の事が嫌いな自分が、自分に似ている人を愛せるはずがない。

母も、私たちにそのような感情を抱いているのだろうか。

 

 

 

いや、それはまた別の話だろう。それに私は、近い未来「絶対」に戻ってこなければならないのだから

(2017/09/03 22:04:56)